システムエンジニアの介護記録

介護休暇の取得をきっかけに思ったことややってみたことを残してみる

母の介護に至るまでを整理してみた

みなさん、こんにちは。

 

介護休暇のきっかけは父の介護なのですが、我が家は母の介護が先に始まっていました。

そんな母の現在までに至る経緯を振り返ってみることにします。

介護のイラスト「車椅子のおばあさん」

 

まずはざっと年表に主なイベントを整理してみました。

イベント・メモ
2016年 ・めまい、耳鳴り、聴力の低下を訴えるようになる
・大学病院で検査、聴神経腫瘍が発覚、良性腫瘍であり、除去の緊急性は低く経過観察となる
2017年 ・ハワイ旅行に行くはずだったが叶わず
・まだこの頃は一人で外出もできていた
2018年 ・母の希望により聴神経腫瘍の除去手術、めまいや耳鳴りは解消しなかった
・めまい症状の波が大きい日は、自分がバカになる、壊れる、などの発言が増え始める
2019年 ・めまい症状の波が大きい日は、寝込むことが増え始める
・自分で頭をたたいたり耳を引っ張ったりするようになる
・症状が気になると大学病院へ診察にいくが、脳外科にいったり耳鼻科にいったりという状態
・心配になり大学病院への定期診察に付き添い開始
2020年 ・精神科でのカウンセリングを勧められ受診、気にし過ぎないようにと諭される
メンタルクリニックを紹介され受診、投薬も開始
・いずれも効果は見られず
・この頃から認知症と思われる物忘れ症状がみられるようになる
2021年 ・突然歩容がおかしくなる
・病院で検査、水頭症が発覚、入院しシャント手術
・退院後にリハビリ病院へ転院
・リハビリ病院でクラスター発生、母もコロナに感染
・リハビリができず認知症が加速、完全に話せなくなり、完全に歩けなくなる
2022年 特別養護老人ホームへ入所
・シャント装置の感染症発症、一時入院し除去手術
2023年 特別養護老人ホームの診療医と面会、緩和ケアと看取りフェーズに入ることに合意

 

 

母はもともと活発な人で大きな病気にもかかったことの無い人でした。それだけに、一つの大きな病気(聴神経腫瘍)がなかなか受け入れることができなかったのではないかと推測しています。

今思えば、自分を責める母に対して叱ってしまったことがあったのですが、あの時に優しい言葉をかけてあげられたらとの後悔が今も残ります。

 

大きな転機は2021年でした。

水頭症を発症し、割と緊急で入院し、手術も無事成功しました。退院時には、車いすを使うようにはなっていたものの、普通に会話ができて元気な母が戻ってきた感じがしてうれしかったのを覚えています。

退院後はリハビリ病院への転院が決まっていたのですが、入院手続き中や別れる時の母の悲しそうな表情は忘れられません。リハビリ病院へ入院後、院内クラスターが発生し母もコロナに感染したとの連絡を受け心配したものでした。何だかんだと次に母に会えたのはリハビリの見学と今後の話と病院側から呼び出されたときでした。家族全員で母の変わりように驚きました。無表情で言葉も話せなくなっていて、リハビリも自分で全然動けなくなっていて、数か月でこんなに衰えてしまうものかと。。。

この時、我が家は母の気持ちを考慮する余裕がなく、介護への心構えも不十分で、病院側の提案に従うしかありませんでした。母に悲しい思いをさせてしまった、母が自分を責める環境に置いてしまった、その結果母の認知症をさせてしまった、そんな後悔があります。もっと母のためにできることがあったのではないか、もっと優しく接することができたのではないかと思うことがあります。

 

特別養護老人ホームへ入所してからは、母は日々穏やかに過ごせているようです。現在は看取りフェーズに入ってはいますが、面会で母に会うたびに肌つやが良いので、特別養護老人ホームのスタッフの方々による温かいサポートに、心から感謝しています。

 

水頭症での入院時と特別養護老人ホームへ入所に際して、費用面で支援制度を活用することで助けられました。支援制度については、別のブログで詳しくご紹介したいと考えています。

 

今回、母の介護事例を赤裸々にお伝えしました。賛否があるかもしれませんが、一家族の経験として少しでも参考になれば幸いです。介護の現実や家族の絆を深める大切さを伝えるために、このようなブログを書いてみました。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

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